2020 年
4月 卯月
April
「死の現実と慈悲」
昨年、仙台の住職を亡くしました。
当時、私の三歳の息子、「なんで爺ちゃんは死んじゃったの?」「お空に行っちゃったの?」「かわいそう」と真剣なまなざしで聞いてきた。
一方、四歳の娘は、取り乱しながら泣きじゃくり、死という現実をどう受け止めてよいのかわからずにいた。
お大師様が亡弟子知泉大徳の為の達嚫の文に「悲しい哉悲しい哉哀れが中に哀れなり」「悲しい哉悲しい哉悲しみが中の悲しみなり」「悲しい哉悲しい哉復悲しい哉」「悲しい哉悲しい哉重ねて悲しい哉」。
悟りを開けば、この世の悲しみ驚きはすべての迷いの生み出す幻にすぎないことはわかっています。
このように、私たちにとって大切な人をなくすことは最大の悲しみであるのでしょう。子供の純粋な心に、そのことが重圧となってしまったのかもしれないと思います。
今後の生活の中でそのことを忘れずに、優しく慈悲に満ちた子に育ってほしいと願っています。
栃木 長久寺 相馬照清