2022 年
5月 皐月
May
「心暗きときは即ちグウう所悉く渦なり。眼明らかなるときは即ち途に触れて皆宝なり」
生活環境が大きく変化し、当たり前が通用しない日々に当惑しています。しかし、当たり前とはいったいどのような物なのでしょうか。そもそも以前の生活といっても、どの点を指しているのでしょう。諸行無常の見方では常に変化しないものはないのですから、以前と異なるのが当たり前のはずです。もちろん、未来にも今と異なる様々な変化があるでしょう。
高野山で修業していたころ、苦しみをどうとらえるべきか阿闍梨様に尋ねたことがあります。阿闍梨様は今見ているところから真後ろを振り返ってみることだとおっしゃいました。
辛いと思うことはどこまで行っても辛いまま。それよりもつらさの中にはどのような意義があるのか。様々な方角から苦しみを見るとつらいのは一面でしかありません。それはちょうど、紙の表しか見ていないのと同じで、ぺらっと一枚めくれば全く違う内容が目に入ってくるのです。
表題のお大師様の言葉にも、執着したものの見方をすれば、見聞きするものすべてが禍となってしまう。逆にとらわれを離れた眼で巡り合うものを見れば、必ずその中に教えを見出すことができると説かれています。
私たちも現状を悲観的にとらえて涙を流すのではなく、少しでも明るいところを見て、前向きに行動するところに宝が現れてくるのではないでしょうか。
相模 宝正寺 堀江泰弘